活動状況(年度別)

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活動状況(年度別)

アメリカで被爆者医療セミナーを実施

1977年(昭和52年)以来,(社)広島県医師会の単独事業の時代も含めて,30年以上にわたって在北米被爆者健診団が,大きな成果を挙げてきています。
 しかし一方で被爆者の高齢化が進み,より日常的に,身近で被爆者が安心して医療を受けられる環境整備の必要性が高まってきています。
 このためHICAREでは,米国の医療関係者を対象とする被爆者医療に関するセミナーを実施し,現地医療関係者の被爆者医療への理解を深めてもらうとともに,現地で被爆者医療の中心となっている医師等との連携を強化し,HICARE研修への医師等派遣について一層の協力体制の確立を図るために米国に医師団を派遣しました。

期間:

平成21(2009)年12月2日~12月9日

構成員:

氏  名役       職
碓井 静照HICARE理事
広島県医師会会長
土肥 博雄HICARE会長,
広島赤十字・原爆病院院長
児玉 和紀HICARE幹事,
(財)放射線影響研究所主席研究員
松村 誠広島県医師会常任理事
船岡 徹HICARE書記,
広島市健康福祉局原爆被害対策部調査課主幹
望月 秋HICARE書記,
広島県健康福祉局総務管理部被爆者対策課専門員

現地日程:

月  日都 市 内           容
12月2日(水)ロサンゼルス在ロサンゼルス日本国総領事館訪問
12月3日(木)トーランスダブルツリーホテル・トーランスにおいてセミナーを開催【参加者110名】
トーランス市 Frank Scotto 市長表敬訪問
12月4日(金)シアトルシアトル広島クラブ(広島県人会)との懇談
ワシントン大学健康科学センターでセミナーを開催【参加者50名】
12月5日(土)サンフランシスコ過去のHICARE研修参加者等との懇談
12月6日(日)サンフランシスコセント・メアリー医療センターでセミナー開催【参加者15名】
12月7日(月)サンフランシスコ関係者と協議
*広島⇔現地の往復については,省略

報告・所感:

12月2日(碓井 静照 HICARE理事,(社)広島県医師会会長)

 2009年度のHICAREの主要事業の中でも最大の取組みは,HICARE設立以来,17年間行ったことがない北米の3都市,ロサンゼルス,シアトル,サンフランシスコの大学病院などで被ばく医療について現地の医療関係者等に研修会を開催することである。この度,在北米被爆者健診で協力頂いている医療機関や放射能医療機関で放射線医療に携わっている現地アメリカの医療関係者に本研修会に参加していただくことになり,私,碓井静照を団長とする6名のスタッフが派遣された。
HICARE会長で広島赤十字・原爆病院の土肥博雄院長,HICARE幹事で放射線影響研究所の児玉和紀主席研究員,松村誠広島県医師会常任理事,及びHICARE理事の私,碓井静照(広島県医師会長),それに行政広島市から,船岡徹HICARE書記,広島県から,望月秋HICARE書記の6名の派遣団は,12月2日,新幹線で広島駅を発ち,その日のうちに成田から空路,ロサンゼルスに向った。
 
HICAREが設立されて18年が経過しているが,広島に北米,南米をはじめ,ロシア,ウクライナ,カザフスタン,モンゴルなどから,医師等を数多く招聘し,研修を提供してきたが,こちらから出向いて被ばく医療に関する研修を行うのは,2007年のブラジルが初めてで,今回の北米でのセミナーの開催は,ブラジルに次ぐものである。
 
私,碓井は,「原爆被害の概要」と題して,自分の被爆体験などを含め,悲惨な被爆の実相を語った。熱射,爆風,原爆放射線が多くの市民を殺戮したこと,広島の生き残った医師は医薬品のない中,懸命に医療救助活動に従事し,記録をとり,被爆者支援を行い,これが後に原爆障害対策協議会となって県民の医療福祉に大きく貢献したこと,広島の医師は核兵器の廃絶を提唱するIPPNW(核戦争防止国際医師会議)の活動を展開していること,「被爆者は世界のどこにいても同じ被爆者,どこの国も被爆者にも同じ医療支援を」という観点から,在外被爆者の健診業務を推進していることなどパワーポイントを使ってロサンゼルス郡トーランス,シアトル,サンフランシスコの3か所で講演した。
 
第1日目に話を戻そう。ロサンゼルス到着後,私たちは日本総領事館を訪問し,われわれのキャンペーンへの協力に感謝の意を表した。席上,たまたま伊原総領事の前任の仕事が6カ国協議担当であったため,北朝鮮問題について話がはずみ,予定の時間をオーバーして,会議は1時間に及んだ。
 
なお,ロサンゼルス地区の被爆者健診で世話になっている病院のCEOで,今回の研修会の世話役でもあるHunn氏は,このミッションをワシントンD.C.及びアメリカ政府に働きかけて,日本からの支援のみの一方通行ではなくアメリカの予算で行うようにしたい,そしてロサンゼルスはビーチ地区,空港,都心とそれぞれ重要なところがあるが,トーランス市はその中心になるため,アメリカ版HICAREの施設を誘致したいなど,興奮気味に語った。その他,日本人移民の話,アメリカとの食文化の違い,アメリカンドリームについても語り合ったがこの話は別の機会に譲る。

伊原純一在ロサンゼルス日本国総領事(左から5番目)を表敬訪問

12月3日(松村 誠 (社)広島県医師会常任理事)

 12月3日(木)午前8時30分,昨日(12月2日)の10時間近くにも及ぶ空の長旅と時差をものともせず,ロサンゼルスでの第一夜を過ごした派遣団・碓井静照団長以下総勢6名は,1名がやや体調を崩しているものの,意気軒昂で宿泊ホテルであるトーランス・マリオットを元気に出発した。セミナー会場であるダブルツリーホテルには徒歩10分で到着した。ホテルロビーでは,予め会うことを約束していた被爆者である中野博子さんとジョー大上氏がすでに待っておられ,早速,健康相談となった。70歳台女性のNさんは,この9月に行われた第17回在北米被爆者健診を受診されており,その時に指摘された心電図異常についての現地での精密検査結果の相談であった。また60歳台男性のO氏は,貧血の精密検査結果についての相談と被爆との関連についてであった。いずれについても問題のないことを説明し,納得していただいた。
研修会の会場は,ホテルの宴会場と思しき豪華な一室に,円形テーブルに真白いテーブルクロスが施してあり,バンケット形式での研修会の準備が整っていた。さすが,地元主催者であるProvidence Little Company of Mary Medical CenterのCEOであるMr. Hunnとこのセミナーの現場責任者で同センターの事務長であるMs. Deborah Fehnならではの心配りである。なお,彼女は2010年1月にHICARE研修で来広する。会場には,米国被爆者協会の据石和会長,更科幹事ら数人の被爆者と,在北米被爆者健診で協力いただいている桜井裕先生ご夫妻の姿も見られた。また,1962年から1964年までABCCに勤務のDr. Freedmanの出席もあった。その他医療関係者と被爆者,そして災害危機管理関係者等を含め,当初の申し込みの70人を大幅に超え110人に達していた。研修会は,ロサンゼルス病院協会副会長のScotto氏の軽妙な司会により開始され,まず地元主催者を代表してMr. Hunnが挨拶をし,今回の研修会の意義とロサンゼルスにおける核テロ等の核攻撃に対し中核的役割を連邦政府とともに果たしてゆく方針である等について述べ,講演に移った。講演は,ランチを挟んで4人が講演し質疑応答が行われた。
 
なお,私,松村だけが,ランチ後の講演となり,ランチは喉を全く通らなかった。講演後の質問は,米国における核実験で被爆した兵士たちの放射線影響について等であった。
 
研修会終了後には,トーランス市役所にMs. Fehnの案内でスコット市長を表敬訪問した。スコット市長には,今年9月の健診でもお会いしており,記者会見にも駆け付けていただきその折には秋葉広島市長よりの世界平和市長会議への参加要請の親書を渡している。訪問予定時間を10分近く遅れて伺ったにもかかわらずスコット市長は,極めてフレンドリーに一行を出迎えてくださった。また,市長自らが市庁舎内を案内し,特に議場では,写真撮影もしていただいた。トーランス市議会は議員が7名で,その議会は,一般市民に広く公開されており,議場は数百名が収容できる広さで,壇上の市長らの席が移動してスクリーンが閲覧できるように工夫されていた。また,スコット市長との歓談では,1990年代の米国の核戦略の誤りや,核テロの懸念,そして千葉県柏市との姉妹縁組と柏市長との交流,訪日の話,さらに碓井団長よりの北朝鮮訪問の話で盛り上がり,会見時間は予定の30分をオーバーした。
 
夜は,Mr. Hunnが主催し,2年前に来広しHICARE研修を受けたDr. Mollenkamp夫妻も加わっての夕食会に参加し,美味しい料理とカリフォルニアワインに舌鼓を打ち,トーランスでの研修会の成功に感謝しつつ,無事初日を終えた。

碓井静照団長(於:トーランス)

セミナー風景(於:トーランス)

12月4日(児玉 和紀 HICARE幹事,(財)放射線影響研究所主席研究員)

12月4日の早朝にロサンゼルス空港を発ち,お昼前にシアトルに到着した。ただちに昼食会場の Bluefin Restaurant に向かい,そこでシアトルでの研修会世話人の行方先生,広島県人会の中野会長,在米被爆者の田中さんや藤田さんら総勢13名から歓迎を受けた。碓井県医師会長と土肥HICARE会長から記念品の贈呈が行われた後に,昼食をとりながらワシントン大学で開催するセミナーについて打ち合わせをおこなった。
HICARE派遣団一行はその後ホテルにチェックインし,しばらく休息した後に夕方にはワシントン大学 Health Care Centerに移動し,18時30分から21時までのセミナーに臨んだ。
 
セミナーでは,まず世話人の行方先生から挨拶とセミナーの趣旨説明が行われ,次いで会場の手配をしてくださったワシントン大学のScott Davis教授の挨拶の後に講演に移った。
 
講演の演者としては最初に,行方先生が「概要説明」をおこない,広島・長崎の原爆投下と近年の世界の核兵器拡散状況等の簡単な説明を行った。次いでHICARE派遣団の講演に移り,まず碓井県医師会長が「原爆被害の概要」について30分,次いで土肥HICARE会長が「HICAREの活動」について15分,更に松村県医師会常任理事が「米国被爆者健診32年間の課題と展望」について15分の講演をおこなった。そして10分のコーヒーブレイクをはさんで,私,児玉が「原爆放射線の人体影響」について20分講演し,最後にワシントン大学疫学部門教授の Dr. Scott Davis から「放射線影響研究におけるパートナーシップ・プログラム」と題してワシントン大学公衆衛生部門と放射線影響研究所とで日米共同研究が進んでいる様子の説明が15分あった。
 
セミナーの参加者はシアトルの医療関係者,ワシントン大学教官ならびに大学院生,シアトル在住原爆被爆者,広島県人会会員など合わせて約50人であった。参加者は皆大変熱心に講演に耳を傾け,メモを取っていた。また,それぞれの講演の後には活発な質疑応答が行われた。質問の主なものとしては,「米国にはまだ確認されていない原爆被爆者がいるのではないか?」,「日本では原爆被爆者はどのような医療支援を受けているのか?」,「原爆被爆者に生じるがんで原爆放射線が原因のものはどれくらいあるのか?」,「原爆被爆者には重複がんが多いのではないか?」,「原爆放射線は不妊を引き起こしたのか?」等々であった。
 
講演終了が夜9時であったにもかかわらず,参加者にはほとんど席を立つ者がいず,みな熱心に最後まで講演に聞き入っていた。また,講演終了後も個人的に質問が続き,立ち去りがたい状況であったが,翌朝早くサンフランシスコへ向かわねばならない事情もあり,やむを得ず会場を後にすることとなった。
 
 セミナーは短い時間ではあったが,参加者に原爆被害の実際と一生涯続くであろう放射線の健康影響について学んでいただく機会を提供することができ,非常に有意義であった。

セミナー風景(於:シアトル)

土肥博雄HICARE会長(於:シアトル)

児玉和紀団員(於:シアトル)

松村 誠団員(於:シアトル)

12月6日(土肥 博雄 HICARE会長,広島赤十字・原爆病院院長)

 12月5日(土)にシアトルを出発してサンフランシスコに到着した。サンフランシスコでは夕方からウメクボ先生,ケイ・ヤタベ先生と会食が予定されており,それまでの時間,昼食を含めて市内を視察した。5時45分ヒルトンホテルに出迎えに来て頂いたウメクボ先生に続いた我々6名は歩いてホテル近くのベトナム料理のお店に行った。到着時に既に客席の7割が埋まっており,とても盛況なレストランをお見受けした。碓井団長はウメクボ先生とヤタベ先生に両脇に挟まれる格好で座られ,私はヤタベ先生の隣に座った。ヤタベ先生は13年前にHICAREで広島に一カ月滞在した経験があり,12年前に私が北米健診でサンフランシスコを訪れた時に大変お世話になった方である。彼女は日本語が堪能と思っていたがそれは私の勝手な思い込みで,実はHICAREの研修の殆どは英語で行ったとのこと。ウメクボ先生は三世でやはり英語のみなので当日の会食は全て英語となった。
 
アルコールが入ると饒舌になる傾向のある私には,明日の発表の大変良い英語プラクティスとなった。昔話など尽きない会話の後,明日を誓ってホテルに帰った。
 
翌日の6日は午前中を休養と準備に費やし12時から会場であるSt. Mary’s Medical Centerに向かった。講義内容は,先の2か所と同様,1.碓井静照団長の被爆の概要,2.土肥博雄によるHICAREの設立と概要,海外被爆者の状況とその変化の解説,3.児玉和紀放射線影響研究所主任研究員による原爆被爆後障害の実態,4.松村 誠広島県医師会常任理事による北米健診32年の歩みとこれから,の内容であった。
 
ロスアンジェルス110名,シアトル50名と比べると規模は小さいものの,約15名の小規模なセミナーは全て専門家で,講演後のディスカッショウンでは厳しい質問が続き30分近く議論が続き,最も実り多い満足感の多いセミナーとなった。
 
翌日は資料の整理に使い,火曜日に帰路に就いた。

セミナー風景(於:サンフランシスコ)